高松高等裁判所 昭和28年(ネ)37号 判決 1956年3月23日
控訴人(被告) 国
訴訟代理人 越智伝 外五名
被控訴人(原告) 向井善勝
主文
原判決を次のとおり変更する。
訴外愛媛県知事が被控訴人に対し
(一) 昭和二十三年十二月三十一日付買収令書の交付により原判決添付別紙第一目録記載の農地につきなした買収処分
(二) 昭和二十四年十月二日付買収令書の交付により原判決添付別紙第三目録記載の農地につきなした買収処分はいずれも無効であることを確認する。
被控訴人のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審共控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は、原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。との判決を求め、被控訴代理人は、本件控訴を棄却する。との判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張は、
被控訴代理人において、
(一) 原判決添付第一目録記載の農地(第十二回買収計画)について。
被控訴人が右農地について樹立された買収計画につき、昭和二十三年十二月二十一日南伊予村農地委員会(以下村委員会と略称する)に対してなした異議申立は有効である。即ち村委員会は同月十五日付書面をもつて被控訴人に対し、前記農地は買収となつたので、これに異議あらば、同月二十三日までに申出ありたき旨通知して来たので、被控訴人はその期間内たる同月二十一日異議申立をなしたのである。村委員会は一旦これを受理し、審議の結果、昭和二十四年一月十四日異議申立却下の通知を被控訴人に発送し、被控訴人は右通知に対し同月十七日再び異議の申立をなし村委員会は同月二十八日再審議をなした。(尤も再審議の結果は不明である)。従つて、仮に右買収計画書の縦覧期間が計算書の上では十二月二十日までと記載され、且つその旨公告された事実があつたとしても、村委員会が右計画を告知する方法として別に甲策十号証の如き文書による通知の方法をとつた以上(元来公告は文書による通知なる告知方法に比し不完全なものであることは否めない)被告知者は、右公告の事実を知ると否とに拘らず文書による告知に信頼して行動するのが当然且つ正当であるから、被控訴人が甲第十号証の文書に示された十二月二十三日以前たる同月二十一日異議申立をなしたのは適法である。しかも村委員会は右申立を適法のものとして受理し、これを処理した以上、今更これを期間経過後の不適法の申立であるということはできない。
仮に右異議申立が期間経過後のものであるとしても、異議申立について詳細な手続規定を欠く農地法施行法第一条による廃止前の自作農創設特別措置法(以下自創法と略称する)の下において、特別の規定ある場合の外は、その性質に反せざる限り訴願に関する一般法たる訴願法の類推適用あるものと解すべく、農地買収計画に対する異議申立についても、訴願法第八条第三項の類推により、申立期間経過後と雖も、当該農地委員会において宥恕すべき事由ありと認めるときは、なおこれを受理し得るものと解するを相当とする。本件において村委員会が被控訴人の異議由立を受理したのか、如何なる事由によるもので、あるか、必ずしも明らかではないが、これに対する村委員会の決定が、主として、被控訴人が在村地主にあらずとの実体上の理由によつて申立を誹斥し、法定期間の徒過なる形式的理由について何等言及せざるところをみれば、村委員会は暗黙裡に訴願法第八条第三項を類推適用し、宥恕すべき事由ありと認めて、被控訴人の異議申立を受理し、これを処理したものと認むべきである。
右農地に対する買収令書の交付の時期が異議申立却下の通知と同時であることは、被控訴人の否認するところであるが仮に然りとするも、農地の買収処分は、地もと農地委員会の樹立した買収計画に基き、都道府県農地委員会の承認を経て、都道府県知事が買収令書を交付することにより完了し、農地の所有者はその所有権を喪うと同時に国がこれを取得するに至るのであるから、この一連の手続においては、法律上定められた手続を厳に履践することを要する。即ち都道府県農地委員会の承認は、行政庁の内部的行為であつて、行政処分にあらずとしても、買収令書交付の不可欠の前提要件であつて、これを欠く買収処分は当然無効である。本件において愛媛県農地委員会(以下県委員会と略称する)が、異議申立却下前たる昭和二十三年十二月二十八日、買収計画の承認を与えたことは、重大なる瑕疵であつて、その承認は無効であるから、承認なきに等しく、この無効な承認を前提として買収令書を発行交付することは、延いて買収処分全体の無効を招来するものといわなければならない。
また控訴人は、右異議申立却下決定に対する再審議の申立に関し訴外向井恵子において買収除外理由なきことを承認したと主張するけれども、斯の如き事実は被控訴人の否認するところなるのみならず、一旦再審査の必要を認め審議した以上、再審議を求めた者は、これに対する何等かの意思表示を期待しているのであるから、これに対応する何等かの処分を必要とするものと解すべきである。
仮に然らずとするも、右再審議の申立書(甲第十三号証)は、被控訴人が在村地主なることを強調し、買収計画に承服し難き旨陳述した書面であるから、右書面の宛名が訴願庁たる県委員会にあらず、訴願なる文字の記載なしとするも、異議申立却下の決定に対しては、原処分庁に異議申立の途なく、また右書面によれば被控訴人が右決定に不服であつて、再審査を求める趣旨なること明瞭であるから、右書面の提出は訴願の提起と認めるを相当とし結局本件買収令書は、訴願の裁決なき以前に交付せられた違法あるに帰し無効たるを免れない。
(二) 原判決添付第二目録記載の農地(第十三回買収計画)について。
右農地の買収計画に対しては、被控訴人は法定期間内に異議申立をしたが、仮に然らずとするも、被控訴人は右農地を含む伊予郡南伊予村大字上野字本村千六百八十一番地、田四畝十歩を訴外向井友哉に耕作せしめたことなく、実際に二畝五歩なる田地なきに拘らず、地主不知の間に勝手に分割したものであつて、その買収処分は無効なる旨、村並びに県委員会に申出でた結果、県委員会は一応これを陳情として取上げ、昭和二十四年六月二十四日被控訴人を向井友哉と共に委員会に出頭せしめ、事情を聴取した上、右四畝十歩については追て実態調査の上善処する旨、同委員会より回答して来たが、その後これにつき何等の調査も回答もなかつたのであつて、この消息に徴するも、二畝五歩なる農地が買収令書の上で特定していないのみならず、事実上の分割によつて特定していたものでないこと明らかであるから、結局右農地の買収処分も無効である。
(三)原判決添付第三目録記載の農地(第十五回買収計画)について。
右農地の買収について、控訴人主張の如き事実ありとするも、右目録中(三)の農地については、買収処分特定せず、この部分に対する買収処分も亦無効である。
(四)被控訴人は不在地主にあらず。
被控訴人一家はもと大連市に居住し、終戦により本籍地たる南伊予村に引揚げにものであるが、昭和二十二年三月頃先づ帰還した被控訴人の妻子は被控訴人所有小作地の返還を受けんとして、妻恵子名義で小作地の賃借契約解約承認申請を村委員会に提出し、村委員会が同年五月十日、小作人との間に協議整えば、保有米のできる程度の小作地返還を認めるよう処理する趣旨の決定をなし、その旨被控訴人に通知したことは争わない。
しかしながら、被控訴人を不在地主として取扱つたのは違法である。被控訴人は妻子の帰還後も外地に残留を余儀なくされ、昭和二十四年に至り漸く帰国を許され、本件農地の所在地において妻子と同棲することができた。かかる事情にある農地瞬有者は、所有農地の買収を免れんとする意図をもつて、農地の所在地に住所を定めたものではなく、且つ外地引揚により一朝にしてその地位と産とを喪つた苦境にあるものであるから、その所有農地を不在地主の小作地として買収を強行せんとすることは自創法の法意に副わざるのみならず、本件買収手続たるや複雑多岐を極めている。村委員会の意図たるや、農地改革を真面目に遂行せんとするにあつたものと認め難く、他に期するところあつて、農地改革杉を利用して、無理無体に農地を取上げんとするにあつたものと観るの外なく、まさに権限の濫用であつて、この点からも本件買収処分は当然無効であると陳述し、控訴代理人において、
(一) 原判決添付第一目録記載の農地(第十二回買収計画)について。
村委員会は昭和二十三年十二月十日、右農地について、買収期日を同月三十一日とする第十二回買収計画を樹立し、同月十日その旨を村委員会事務所たる南伊予村役場前掲示場に掲示して公告し、同月十一日より十日間買収計画書を村委員会事務所において縦覧に供し、且つ被控訴人には別に公告の内容を通知した。これに対し被控訴人より法定期間内に適法な異議申立がなかつたので、県委員会は同月二十八日買収計画を承認し、愛媛県知事(以下知事と略称する)は同月三十一日付買収令書を発行して、被控訴人に交付し、買収処分を了した。
もつとも、異議申立期間経過後である昭和二十三年十二月二十一日、被控訴人の妻向井恵子より異議申立書なる書面が提出されたので村委員会は昭和二十四年一月十三日一応審理の上、申立を却下し、その旨同月十四日付をもつで通知した。向井恵子は右申立却下の通知に対し、同月十七日付をもつて、再度異議書と題する書面を提出したので、念のため同月二十八日の村委員会に向井恵子の出席を求め、協議の結果、買収除外の理由なきことを確認し、恵子もこれを承認した。その後同年四月八日に至り、更に異議申立書訴願と題する書面が提出されているが、これは陳情書に過ぎない。そして買収令書交付の時期は昭和二十四年一月十四日頃(異議申立却下の通知と同時)であるから、異議申立が適式であるとしても、買収処分を無効とするが如き手続上の瑕疵は存しない。
(二) 原判決添付第二目録記載の農地(第十三回買収計画)について。
右農地について、村委員会は昭和二十四年二月十日、買収期日を同年三月二日とする第十三回買収計画を樹立し、同年二月十日前同様その旨村委員会、事務所前掲示場に掲示して公告し、同月十一日より十日間買収計画書を村委員会事務所において縦覧に供し、且つ被控訴人には別途公告の内容を通知した。
これに対し被控訴人より法定期間内に適法な異議申立がなかつたので、県委員会は同年三月二日買収計画を承認し、知事は同月二日付買収令書を発行し、被控訴人に交付して買収処分を了した。
尤も右買収計画に対しては、昭和二十四年四月八日、向井恵子より異議申立書訴願と題する書面が提出されたが、既に買収期日も経過し、買収処分完了後のものであるので、村委員会は単なる陳情書として取扱い、県委員会に申達した。県委員会は同年六月二十四日の委員会に恵子の出席を求め、審議の上、同年七月六日付をもつて、甲第二十二号証記載の如き処理をなす旨、恵子に通知した。
伊予市上野字本村甲一千六百八十一番地田四畝十歩は登記簿上内一畝二十七歩が堀となつているので二分し、第十二回買収計画においては、堀一畝二十七歩を含む二畝五歩を除外し、堀を含まない半分を買収することとしたのであるが、第十三回買収計画においては、買収未済の二畝五歩を買収したのであつて、結局全部買収されるに至つた。右前後二回の貿収計画はその内容必ずしも特定せざるものと断言することを得ざるのみならず、十分特定せられなかつたとしても、結局全部買収せられたものであるから、その瑕疵は治癒されたものと認むべきである。
(三) 原判決添付第三目録記載の農地(第十五画買収計画)について。
右農地について、村委員会は、昭和二十四年九月十五日、買収時期を同年十月二日とする第十五回買収計画を樹立し、同年九月十五日、前同様その旨村委員会事務所前掲示場に掲示して公告し、同月十六日より十日間村委員会事務所において、買収計画書を縦覧に供し、且つ被控訴人には別途公告の内容を通知した。
これに対し、被控訴人より同月二十四日異議申立があつたので、村委員会は同月二十七日異議申立を棄却する旨の決定をなし、同月二十九日付でその旨被控訴人に通知した。そこで県委員会は、同年十月一日買収計画を承認し、知事は同月二日付買収令書を発行し、被控訴人に交付して買収処分を了した。
ところが被控訴人は昭和二十四年十月六日異議申立棄蜘の通知書を、訴外了山説次郎を通じ、村委員会に返戻した。しかしながらこれによつて異議申立棄却の決定の効力が左右せられるものでないのみならず、被控訴人はその後訴願期間内に訴願を提起していないので、県委員会の買収計画承認並びに知事の買収令書交付が訴願期間内であつたとしても、その手続上の瑕疵は買収処分を無効とするものではない。
右農地の内、伊予市上野字岸の下千五百六十二番地千五百六十七番地合併田一反三歩中八畝三歩は訴外水木友吉が小作中のものであることは、第十五回買収計画によつて明確である外、被控訴人は右耕作関係及びその範囲等を争つていないのであるから、右買収部分は一応特定されているものと解すべきである。
(四) その他の事情について。
被控訴人一家はもと大連市に居任し、終戦により本籍地たる南伊予村に引揚げたものであるが、昭和二十二年三月頃先づ帰還した被控訴人の妻子は、生活の必要上被控訴人所有の小作地の返還を受け、これを耕作せんとして、小作地の賃貸借解約承認申請を妻恵子名義にて村委員会に提出し付委員会は五月十日委員会を開催して審議をなし被控訴人不在のための家族の生活を考慮し、小作人との間に協議整えば(補助員をして協議成立を斡旋せしめる。)保有米のできる程度(約三反)の小作地返還を認めるよう処理する趣旨の決定をなし、その旨被控訴人に通知した。但し同日開催の委員会は右の趣旨により返還が承認せられる以外の小作地は、被控訴人不在なるため不在地主として処理すべきものとして、甲第五号証による買収計画に対する異議申立は棄却すべき旨決定し、その旨五月十三日をもつて被控訴人に通知した。
この決定に対し、恵子は五月十九日更に異議申立書なる書面を提出したが、村委員会は右買収計画を進行せしめなかつたので、右申立に対しては、何等の意思表示をしなかつた。
その後前期(一)乃至(三)記載の如く、三回に亘り被控訴人所有農地の買収が実施せられたのであるが、その間被控訴人は一部の小作地の返還を受けて自作しているものもあるが、本件農地については、小作人において離作を承諾せず、土地返還の合意が成立しなかつたので村委員会としては、不在買収の処理をなさざるを得なかつたものであると陳述した外、原判決摘示事実と同一であるから、茲にこれを引用する。
<立証 省略>
理由
被控訴人所有の原判決添付第一目録記載の農地について、昭和二十三年十二月十日買収計画の樹立せられたことは被控訴人の自認するところであつて、成立に争のない甲第一、二号証、同第十号証、乙第七号証、甲第二十七号証の一乃至三、同第十五号証、同第二十八号証の一乃至三(但し第十四回とあるは第十五回の誤記なること当審証人川中秋数の証言に徴し明らかである。)同第二十四号証、原、当審証人川中秋数、同本田惣太郎、当審証人篠崎勇の証言を綜合すれば、右農地については、控訴人主張の日時、その主張の如き適法な買収計画の公告及び買収計画書の縦覧手続が履践せられ、被控訴人所有の原判決添付第二、第三目録記載の農地についても、控訴人主張の各日時それぞれその主張の如き買収計画が樹立せられ、その主張の各日時それぞれその主張の如く適法な買収計画の公告及び買収計画書の縦覧手続がなされたことが認められ、右認定に反する原、当審、(当審第一、二回)証人向井恵子の証言は採用しない。
そして被控訴人に交付せられた日時は別として、原判決添付第一目録記載の農地については昭和二十三年十二月三十一日付、同第二目録記載の農地については昭和二十四年三月二日付、同第三目録記載の農地については同年十月二日付各買収令書の発行交付ありたることは当事者間に争がない。
(一) 同第一目録記載の農地の買収計画に対し、昭和二十三年十二月二十一日、被控訴人の妻たる訴外向井恵子より異議申立ありうることは当事者間に争がなく、弁論の全趣旨に徴すれば、向井恵子は夫たる被控訴人を代理して異議申立をなしたるものと認むべく控訴人は右異議申立は法定期間経過後の不適法のものであると主張するので、先づこの点について考えると、右農地に対する買収計画書は、昭和二十三年十二月十一日より十日間縦覧に供せられたこと前記認定の通りであるから、前記異議申立は自創法第七条第一項但書所定の期間経過後になされたものであること明らかであるけれども、同条所定の異議申立については、訴願法第八条の類推適用ありと解すべきところ、成立に争のない甲第三号証同第十二号証の理由の部分、成立に争のない乙第四号証及び当審証人川中秋数の証言を綜合すれば、村委員会は、前記異議申立が被控訴人の代理人よりなされ、且つ異議申立の期間を遵守し得ざりしことにつき宥恕すべき事由ありと認め、これを適法な異議申立として受理審議したことが認められ、成立に争のない甲第十、十一号証により明らかな、村委員会は昭和二十三年十二月十五日付書面をもつて被控訴人に対し、前記第一目録記載の農地は買収となるにつき、これに異議あらば、同月二十三日までに異議の申立をなすべき旨通知し、向井恵子は前記の如く被控訴人を代理して、右書面に記載された期間内である同月二十一日村委員会に異議を申立てた事実及び右異議申立が法定期間満了の翌日である事実に徴するときは、村委員会が被控訴人が、異議申立の期間を遵守し得ざりしことにつき、宥恕すべき事由ありと認定したのは相当である。
次ぎに県委員会が、被控訴人の異議申立について、村委員会の決定ある以前である昭和二十三年十二月二十八日買収計画の承認をなしたことは控訴人の争わないところであつて、被控訴入は斯の如き承認は不適法であつて、承認なきに等しく、本件買収令書の交付処分は当然無効であると主張し、右承認が自創法第八条に違背することは明らかであるけれども、斯の如き暇疵は本件買収処分を当然無効ならしめる程重大なるものと認むべきではないから、被控訴人の主張は採用しない。
ところで同第一目録記載の農地に対する買収令書が昭和二十四年一月十四日頃異議申立却下決定の通知と共に被控訴人に交付せられたことは、控訴人の自ら主張するところであるのみならず、原審証人向井恵子の証言によつてこれを認め得べく、自創法第七条乃至第九条によれば、買収令書は、買収計画につき異議申立なきとき、異議申立ありたるときは、そのすべてにつき市町村農地委員会の決定あり、且つ同法第七条第四項但書の期間内に訴願の提起がなかつたとき、又は訴願の提起ありたる場合にはそのすべてにつき都道府県農地委員会の裁決ありたる後、市町村農地委員会は都道府県農地委員会の承認を受け、その承認ありたる後はじめて該令書を農地所有者に交付すべきものであつて、控訴人の主張するが如く、異議申立に対する決定の通知と同時に買収令書を交付することは同法第九条に違背すること明らかである。
よつて斯の如き手続上の瑕疵が本件買収処分に如何なる影響を与えるかについて考えると、自創法は国家がその権力をもつて一方的に農地を買収することを認める一面、買収に当り農地所有者の権力を不当に害することなきよう特に手続の慎重を期し同法第七条乃至第九条の規定を設けたものと解すべく、農地所有者に同法第七条によつて認められた訴願の途を尽す機会を与えることなく、直ちに買収処分を行うことは、農地所有者の権利を不当に侵害する虞あり、斯の如き手続上の瑕疵は買収処分の当然無効を招来する程度の重大性を有するものといわなければならない。そしてこの結論は買収令書交付後異議申立却下決定に対し適法な訴願の提起ありたるか否かによつて左右せられざるものと解すべきであるから、被控訴人が本件異議申立却下決定に対し、適法な訴願の提起をなさなかつたとしても、本件買収処分の当然無効なることに変りはない。従つて同第一目録記載の農地に対する買収処分は爾余の点について判断するまでもなく当然無効である。
(二) 原判決添付第二目録記載の農地に対する買収計画について被控訴人が法定期間内に適法な異議申立をなしたとの被控訴人主張事実については、この点に関する原、当審証人向井恵子の証言(当審第一、二回)は直ちに採用し難く、他にこれを認むべき確証がない。
そして成立に争のない甲第二十七号証の一乃至三によれば、県委員会は昭和二十四年三月二日右買収計画の承認をなしたことが認められ、同日付買収令書の発行交付せられたことは、被控訴人の争わないところであるから、反証の存しない本件においては、交付の日時も日付当時と推認するを相当とする。
被控訴人は、伊予郡南伊予村大字上野字本村千六百八十一番地の土地は、被控訴人においてこれを訴外向井友哉に耕作せしめたことなく、実際に二畝五歩なる土地は存在しないのであるから、本件買収処分はその対象たる土地が買収令書自体の上からも事実上も、特定せず無効である旨主張するけれども、向井友哉が昭和二十年十月頃以降右土地全部を適法に耕作していたものと認むべきことは、後記認定の通りであつて買収令書に記載された土地の表示に多少の不備或は不明確の点ありとするも、買収計画樹立の経過、土地の状況、耕作者等の関係から、買収機関、被買収書において、買収部分がいかなる部分であるかを十分に推知し得べき場合には、買収処分の対象たる土地は買収令書自体においても、特定されているものと解すべく、これを本件についてみると、成立に争のない甲第二号証、同第二十七号証の一乃至三、同第三十二号証の二に当審証人川中秋数の証言を綜合すれば、千六百八十一番地の土地は登記簿上田四畝十歩内堀一畝二十七歩(田の部分の実測面積二畝八歩)と表示され、本件買収計画当時堀の部分は田となつていたが、第十二回買収手続において、当初から田であつた部分を千六百八十一番地の一部田四畝十歩の内田二畝五歩と表示し、第十三回買収手続において残部即ちもと堀であつた部分を千六百八十一番地の一部田四畝十歩の内田二畝五歩と表示し、且つ登記簿上田四畝十歩の内堀一畝二十七歩なる旨附記して、各買収計画書を作成したことが認められ、右両度の買収計画による買収令書に買収の対象たる土地としていかなる表示がなされたかはこれを確認すべき資料がないけれども、買収計画書におけると同様の表示がなされたものと推認すべく、以上の如き経過と買収令書自体における土地の表示に成立に争のない乙第九、十号証の各一、二、同第十四号証、現地の写真であることに当事者間に争がない同第十二号証の一、二に当審証人川中秋数、同向井恵子(第二回)の証言の各一部及び弁論の全趣旨を綜合して認め得る前記土地の内当初から田であつた二畝八歩は、もと訴外玉井慶治郎が被控訴人より賃借小作し、堀の部分二畝二歩は向井友哉が被控訴人の管理人たる玉井和佐一の承諾を得て、昭和二十年八月頃埋立て、田として耕作していたものであるところ、同年十月頃向井友哉は右和佐一の承諾を得て、慶治郎から右二畝八歩に対する賃借権の譲渡を受け爾来一括して耕作するようになつたものであるが、当初から田であつた二畝八歩の土地と、もと堀であつた二畝二歩の土地とは約三十五糎の高低をなし、石積をもつて境となし、その区劃は事実上においても明瞭である事実(前記証拠の中右認定に反する部分は採用しない)を綜合すれば、本件買収処分の対象たる土地の範囲は、買収機関は勿論被買収者たる被控訴人においても、これを買収令書自体から十分に推知し得べきものと認めるを相当とするから、本件買収処分の対象たる土地が買収令書自体で特定していないということを得ず、右買収令書の交付によつてなされた買収処分をもつて当然無効なりとすることはできない。また買収令書記載の坪数と実測坪数との間に三坪程度の相違が存することは前記の通りであるけれども、この事実も右結論を左右するものとは解し難い。
被控訴人は、村委員会が被控訴人を不在地主として取扱つたのは違法である。村委員会は他に期するところあつて、農地改革を利用して、無理無体に農地を取上げんとしたものであつて、正に権限の濫用に外ならず、この点からも本件買収処分は当然無効であると主張するけれども、原、当審における証人向井恵子の証言(当審第一、二回)を綜合すれば、被控訴人は大正七年頃渡満し満鉄に入社して採鉱技術者として、撫順、大連等に勤務し、終戦当時妻子と共に大連に居住していたこと及びその間昭和十年八月二十一日養父たる訴外向井五郎の死亡により、家督相続によつて本件農地の所有権を承継し、養父死亡後は、養母をも満州に呼寄せ、本件農地は、訴外玉井和佐一をして管理せしめていたところ、終戦後昭和二十二年三月頃先づ妻子のみ帰還し、次いで昭和二十四年十月十一日被控訴人が帰還したことが認められ、右事実に徴すれば被控訴人については自創法第四条第二項、同法施行令第一条の適用なく、在村地主とみなすべきものではないから、村委員会が被控訴人を不在地主として本件農地につき買収計画を樹立したのは違法ではなく、また村委員会に農地改革を真面目に遂行せんとする意思なく、他に期するところあり、農地改革に便乗して無理無体に被控訴人所有農地を取上げんとして本件買収計画を樹立したことはこれを認むべき証拠なく、本件買収処分が権限の濫用であつて当然無効であるということはできない。
(三) 原判決添付第三目録記載の農地の買収計画に対し、昭和二十四年九月二十四日被控訴人から適法な異議申立のあつたことは、控訴人の認めるところであつて、成立に争のない乙第二号証、同第六号証によれば、村委員会は同月二十七日右申立を棄却する旨の決定をなし、同月二十九日付をもつて、その旨被控訴人に通知したことが認められる。そして弁論の全趣旨によれば、県委員会は同年十月一日右買収計画を承認したことが認められ、前認定の如く同月二日付発行の買収令書が被控訴人に交付されたことは、当事者間に争がないところであるから、反証のない本件においては、右買収令書はその日付当時被控訴人に交付されたものと推認するを相当とし、右承認及び買収令書の交付は自創法第七条第四項所定の訴願の提起期間内になされ、同法第八条、第九条に違背するとの瑕疵が存在し、斯の如き承認が有効であるか無効であるかの点を別とするも、訴願提起期間内における買収令書の交付が買収処分を当然無効ならしめることは(一)において説明したとおりであるから、同第三目録記載の農地についてなされた買収処分は、爾余の争点について判断するまでもなく、無効であるといわなければならない。
以上の認定のとおり、愛媛県知事が被控訴人主張の各買収令書の交付により、原判決添付第一及び第三目録記載の農地についてなした買収処分は無効であるが、同第二目録記載の農地についてなした買収処分は有効であるから、被控訴人の本訴請求中同第二目録記載の農地についてなされた買収処分の無効確濯をも認容した原判決は、その限度において、変更すべきものである。
よつて民事訴訟法第三百八十五条、第九十六条、第九十二条但書に則り主文のとおり判決する。
(裁判官 太田元 岩口守夫 松永恒雄)